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2015年4月29日水曜日

【オウム】高橋克也 第33回公判⑤被告人質問一日目

【仮谷事件】

弁護人
平成72月頃、毎日どんな生活を?
「相変わらず運転だったと思います。」

どれくらい運転していた?
「それは・・だから・・・月に1万キロくらい。平均睡眠時間は4時間前後で慢性的に寝不足の状態でした。」

平成7227日の夕方

ワゴン車を運転して目黒に向かった。井上を乗せていた。
駅前ロータリーのあまり邪魔にならない所に駐車した。

「中村くん、飯田エリ子さんが乗り込んできて、井上と話始めた。
あまり関心がなかったけど信徒の話だったと思う。
私は運転席にいました。会話には参加しなかったけど一度話かけられた。
“我々忙しいですよね?” あいづちを打った。それだけ。」

会話の内容は正確には理解していなかった。車での話し合いは10分か5分くらい。

228日朝

今川の家で寝てたら井上に起こされた。

「行方の分からない信徒さんのことを知っている人がいて、その人を連れてくる手伝いをしてほしい。
ボディーガードみたいな人が付いているから昇の指示に従って欲しい。」

現場に向かった。この時、信徒さんの名前は聞いていない。
どこに連れていくかも聞いていない。
連れてくる人の名前も知らない。

中村、井上、悟、自分、中川がワゴン車にいた。

中村か井上の指示でギャランに移った。
ギャランに中村も乗り込んできて、しばらくしてから井上も来た。
「運転していたのはひょっとしたら平田信かなって気もします・・」

これからやることは何だと理解していた?

「その、居場所を知っている人を連れてくるって事と、ボディーガードを排除するのかなって思いました。
中村くんから説明がありまして・・・目標とする人が来たら…その人に対する3人の立ち位置。 人相、風体を聞いた。」
・・・もーーーーーーう!前後めちゃめちゃに話すのやーめーてー!

「あ!ひとつ、忘れてましたー。ギャランに移った時ですね、たまに外出たりしてたんですけど、平田信がTVカメラみたいな肩にしょう感じの物を持っていてうろついてました。
通行人にそれを向けたり。
ちょっと説明が飛んでしまったんですけど・・それがレーザー銃だと誰かに聞きまして・・・
実験するんだと。でも全然効果がない、となって・・。
・・・整理して話してーーーーー(~_~;)!

なんかよく分かんない感じで色々説明してたけど
まとめると、この辺りで言ってたのは
・レーザーがダメだったから自分らがボディーガードをなんかするのかなと思った。
・フォーメーションの話になった。
 井田―左、自分―右、中村―後ろに決定
・レーザー銃は科学技術省が作ったものだから効かないんだろうな
・目に当ててボディーガードをひるますって話だった。

ギャランからデリカに戻ったことは?
「ないです。」

メンバー全員がデリカにいたことは?
「ないです。」

誰かが全員に分かるように説明した?
「してない。全員が集まったことがないです。」

中川の役割は?
「考えてなかったです。
一連のことの一員だなという認識しかない。」

夕方

中村が “あの人だ!”

車から降り、立ち位置に立った。

中村が「うおーーーーっ!」て言いながら押したっていうかタックルした。

・・・タックル( ;∀;)

「デリカの方にタックルしました。。。
予想もしてなかったんで、私まで転びそうになりました。
その男性は転んだと思います。
男性の脚が車の下から抜けなくなってしまった。
前に出せば抜けると思って、運転手に指示しました。
男性が動けるようになったから、中から悟が引いて、その人を乗せました。
私は足を持って乗せました。」

それから高橋も一緒に車の中へ。
シートはフラットな状態になっていた。
助手席側の後ろに座った。
男性は寝かされた。

「朝の時点では、ボディーガードと取っ組み合いとか、えらいことになるのではと思った。
中村君の指示自体も、決まった位置に立って同時にボディーガードを排除って事ではっきりしなかった。」

レーザーがダメになった段階で自分の手伝いは何だと思った?
「やっぱりボディーガードの排除もあると思った。」

中村に対して何をやるんですか?という問いかけはできないんですか?
もっとはっきり教えてください、とか。
「普段のワークの指示の仕方もそうだったから、なんとなく聞いてはいけない雰囲気だった。」

男性を横たわらせてからなにがあった?
「そのあと・・・たぶん・・・脚に注射をされてました。」

様子は?
「えーーーーっと。どうでしょう。
乗せる時は“助けて”と声をあげてた。確か、額を切られたと思います。
悟がネクタイで止血してた。偉いなと思った。
それから男性は“分かった、もう騒がないから。”と言った。
中川がふくらはぎら辺に注射をした。

何の注射だと思った?
「分かりませんでした。」

注射をしたらどうなった?
「じきに眠ったようになりました。眠らせる為のものだったと分かった。」

中川から、なんの注射だったかの説明はなし。運転は松本だったと思う。

車はひとけのない緑の多い公園に停めた。

注射以外で気付いたことは?
「窓ら辺に点滴のビニール袋がありました。管が男性の腕にいってたと思う。」

何の点滴だと思った?
「分かりません。考えてない。」

その公園でなにを?
「その男性を乗せ換えました。井上の指示でマークⅡに。」

井上の指示“東名を使って上九へ行け”。
この時点で初めて上九に連れていくことが分かった。

仮谷さんは後ろの真ん中。左に悟、右に中川。

中川の指示で第2サティアンへ。

6畳くらいの部屋にスポンジみたいな布団があり、そこに寝かせた。
点滴用のスタンドを設置。



「もうする事もないし、時間も遅いから寝ようと思った。中川に弁当を頼まれ買いに行った。」
中川に服を燃やすから脱げと言われ代わりの服に着替え車で寝た。

この時、林郁夫は見ていない。名前も出ていない。

ソファーには座った?
「はっきり覚えてない。」

1645 閉廷


“仮谷さん” と呼ぶことは一度もなく、“その男性” でしたね(・ัω・ั)

【オウム】高橋克也 第33回公判④被告人質問一日目

VX事件

【水野さん事件】

9411月頃、たぶん今川の家で井上から指示された。
「ワゴン車を借りて運転して欲しい。」
中野に行くとだけ言われ、その他の説明はなかった。

中川、井上らを乗せて中野の住宅街へ。川の近くだった。


何人かが降りてしばらくして井上が戻ってきて
「ダメだった」とか「失敗した」とか言った。

何をやったのか深くは考えなかった。
余計な詮索をしないのがクセになっていた。

弁護人
中川は何をしに来たと思った?
「分からないです。聞いてない。こちらのワークと関係ないので聞かなかった。」

それから今川に戻り、もう一度やらなくては、と
井上から説明があった。

「信徒をかくまっている人がいて、神通力を一滴かける。」

ある種の毒物という説明。

その後、同じメンバーで同じ所に行った。
見張りをしてもらう、と今川で指示された。

廃屋のトイレに12時間ずっといた。
・・・12時間!!!!!! まさに極限修行( ;∀;)w

対象者が出てきたので山形と新実に伝えた。

新実がおじいさんの前、山形が後ろ。
山形が手を上げたのが見えた。


老人に液体をかけた後、グルにどうなったか聞かれて、何も調べていないと言ったら
「なぜ調べないんだー!」とみんな叱られた。

井上、新実、中川が調べた結果、おじいさんはピンピンしていた。
これはたぶん井上から聞いた。

数日後もう一度やることに。

山形を上九まで迎えに行き東京へ。
また12時間見張りかなと思ったけど運転だけだった。

液体は効果がないと思っていた。

「科学技術省の作ったものは当てにならない」が教団の常識。




中川に注射を頼まれたことはありますか?
「小林Yを見張ってたときに手にVXがついた。
注射を頼まれたけど、“無理です“ と答えたら、“じゃあいいです“ と。」

注射の練習を頼まれたことはありますか?
「あります。寒くなってきたころ・・
中川の居住している所に山形といきました。でも、“やっぱり無理です” と言った。
中川は“じゃあいいです” と。
その時はなぜ注射の練習をするのか考えなかった。」
・・・”無理です” ”じゃあいいです” なんかウケる(^o^;)

VXをやるから救命のためと理解していた?
「あまり・・・理解してなかった。
中川は簡単に引き下がった。注射の説明も適当で、“やってみますか?” みたいな感じ。
できなそうだったらいいですよ、という印象。」

【永岡さん事件】

きっかけは?
「たぶん今川の家で最初に井上から指示があった。94年の年末か95年の年初め。
“一滴たらす” みたいな事だったと思います。」

たらす理由の説明は?
「ありません。」

具体的にどうした?
「それで・・あの・・・最初は…運転の話だった。
新実がお互いの顔をよく知っているからできないと間近に言われて・・
井上が “代わりにやって” と。
新実は山形のサポート役でした。当日は雪か雨が降ってたんで・・
傘を持って現場に行ったと思います。車は運転していない。
誰が運転したかは覚えていない。
車には新実、山形、井上、悟、私、ひょっとしたら2台くらいで行ってるかも。

まず、ワゴン車で山形と待機していました。それでたぶんトランシーバーで”出てきた“と聞いて山形と出て行った。
歩道を歩いていって、永岡さんを追い越したか行き会ったかで・・背後に立った。
途中で山形が(VX入りの)注射器が入った袋があかないと言ったので自分があけた。
はっっ!それ以前に、かけたら傘で視界をさえぎってと頼まれました。
・・・ちょっとぉ~ちゃんと記憶整理して臨んでよぉ(・ัω・ั)イラツクー

どんな袋?
「ビニールのチャック付きの袋でした。」

注射器に針は?
「たぶん付いてなかったと思う。」

「傘で山形の上半身が隠れるようにした。その瞬間に変な臭いがした。
車に戻り、新実に“変な臭いがした”と言った。薬臭い臭いを嗅いだきがしたが体調に変かはなかった。
新実は“騒ぐな、大げさだ。”
井上は “心配だったらAHIに行けば?”
どっちでも良かったんだけど・・・念のためAHIに行って注射をしてもらった。
自分で運転していった。現場からは2030分くらいだったと思う。」

なんの注射を打ってもらった?
PAMだったと思う。」

「山形が入ってきて、彼も注射を打ってもらってました。」

PAMを打ってもらわないと死ぬ!または重大な被害を受けると思った?
「それは思いませんでした。」

・その後、永岡さんがどうなったか知らなかった。
・大阪の若い人と老人がどうなったかは永岡さんの直後には知らなかった。

平成7年の1月初め、永岡事件の頃に、麻原がポアしたいのは誰、という話を、教団の誰かと話した事は?
「ありません。」

“ポア”が殺人の隠語と知っていた?
「それはないです。」


第33回公判⑤被告人質問はこちら↓
http://jazzytokyo106.blogspot.jp/2015/04/33_72.html

【オウム】高橋克也 第33回公判③被告人質問一日目

オウム入会のきっかけは?
「 “超能力秘密の開発法”を読んだのがきっかけ。
24歳か25歳の時、生き方を模索している時に、そうゆう本もあったなと。
最初は胡散臭いと思ったけど、体操みたいなのをやり始めた。



玄米菜食も一緒にやったら低血圧が改善されて苦にならなくなった。
体調が良くなったので他に呼吸法とかもやってみた。
それでオウム神仙の会を知りたいなと思い、本に書いてあった連絡先に連絡した。
すると、“実践瞑想ヨーガの集い”というイベントを勧められた。
小田急線のどこかの会場だった。15分くらい瞑想と呼吸法を指導してもらった。
実践的だなと感じ、もうちょっとやってみたいと思った。」

その後、道場を訪ねた?
「はい。1987年の7月位です。」

道場でどういう体験を?
「話を聞いて、入会したと思う。」

一番大きな動機は?
「やっぱり・・う-----ん、その当時は超能力的なことにすごく関心がありました。
(神仙の会は)ひどくアットホームでしたね。
来る者を拒まずといった感じで、全体の雰囲気としたら客の多い家みたいな、普通の一軒家でした。」

入会後、シャクティーパット準備コースに出るようになった。
インストラクターは山本M。
10回出るとシャクティーパットが受けれる。
このコースで体調が良くなり、心が安定してきた。

「シャクティーパットでは、グルの方に頭を向ける。
しばらくして尾てい骨の辺りに熱感を感じて、液体みたいのが背骨を上る感じが少しした。

その時、少し雑念が湧いたっていうか、変なビジョンがよぎった時、

“雑念が湧いているから集中するように。”

と言われた。
間髪入れずに言われたからビックリした。

光は?
「少しだけ感じた。霊的エネルギーの注入はよく分からなかったが、受けてみて熱感とか、浮かんだ雑念が伝わったのに何よりビックリした。」

体験した後は?
「もう一回受けたいと思って、コースを受け続け、手伝いをするようになった。
ほとんど泊まり込みになり、どんどん身近になっていった。
1987年の7月に出家しました。
修行に専念しようと思いました。超能力に興味が出て、それを目指すには出家だと思った。
父は “お前の好きんいようにすらばいい。"
母は・・ちょっと悲しいんですけど…貯金を心配してるような・・。悲しかった。
全貯金と車をお布施しました。貯金は370万円くらい。」

1988年に富士に総本部道場ができた。

記念式典に、チベットの高層カール・リンポチェがきた。優しげな人だった。
「あなたたちは、このようなグルの元で修行できて幸せだ。」と言われた。
自分は間違ってなくて、これはチベットの教えなんだと思った。

出家後の帰依は?

「より深くなった。変な言い方なんですけど・・
グルの一つ一つの言葉が心に響く感じ。

ものすごく優しいものあるんですけど、恐い。
態度が恐いんじゃなくて、

透明すぎて、自分が見透かされているといつも感じていた。

出家後の修行は?
「あまり進んでいなかった。同じ時期に出家したのは、石井、飯田、山本、上祐。
クンダリーニは早い時期に成就した。認定されたのは92年くらい。」

どんな修行をした?
「経行(きんひん)といって歩く修行。
一日2回、片道6㎞。一日24㎞くらい。これを一か月やった。他に瞑想と呼吸法。

何か変化は?
「ダルドリーが少し起こった。少し明るい光を見た。ダルドリーというのは、蛙飛び…蓮華座の状態で体が跳ねる現象。」

輪廻転生や、当時、今生きている現世の意味をどう考えていた?
「生きて死ぬだけだった何の意味があるのだろう・・・
来世を良くするために生きていると思った。」

小乗ヒナヤーナ、十戒を守った?
全員守っていたと思う。ゴキブリも殺さない。アリを踏まないように歩いた。

ヴァジラヤーナの説法を聞いた?
「それは初期からあった。あらゆる手段を使い、速やかに解脱する。ポアが殺人の隠語だという事は知らなかった。」



どんなワークをやった?
「車両関係のワーク。修理や運転です。あらゆる車を運転した。10tトラック、バスも。
出家後に大型の免許を取った。

心がけていたことは?
「安全、確実。なるべく早くを心がけていました。」

何か通達はあった?
「時間を作って他の修行をしていた。睡眠時間を削って修行やワークをしろという風潮で、それをまともに実践してしまって、車をこするとかの事故が沢山起きた。
運転のある人は寝なさいと通達がありました。」

上司は誰でしたか?
「ワークにおける上司は山田さん、杉本さん、94年頃は野田さんかなぁ…。
支部の時は二宮かな? その後井上になりました。946月に省庁制度ができた時です。
CHSに入ったあとのワークは井上に運転を頼まれた。省庁制の前も後も同じ運転だった。」

当時の生活パターンは?
「パターンはなかった。」

じゃあ何してたんですか?
「一日300㎞、1か月1万㎞運転した。その車をお布施した人がものすごくビックリしていたほど。
目的地、時間の指示だけど目的は教えられずにただ運転するだけ。

教団の中では不必要なことは聞かない。
ワークはグルの意志の実践なので。

どんな非合法活動をやらされた?
「盗聴を少し。井上君が盗聴するから乗せていった。
企業や広島の三菱、岐阜大学の研究室に侵入した。
〇〇近くの工場から書類を持ち出したりした。これ以外は全部見張り。」

なんの為に書類を持ち出した?
「科学技術省ができないからと。」
「見張りの時は“人が来たらトランシーバーで教えて”と。何の為かの説明はなかった。
グルの意志だという事は暗黙の了解だった。」

麻原に会って、それは麻原の意志なのか確認した?
「会えなかったから確認はしていない。
井上の指示は麻原の指示と疑念は持たなかった。」

なぜですか?
「・・・なぜ…ですか…。当然井上もグルの意志を理解してこっちに指示していると思っていました。疑念を持つことはよくない事をされてました。それはグルの意志に逆らうことで、小乗の転生が悪いものになる。例えば三悪趣に堕ちるとか。」



教団が化学兵器や自動小銃を製造しているのは知らなかった。

サリンを作っていると聞いたことはなく、知らなかった。サリンプラントの建設も知らなかった。

LSDについても知らなかった。

輪島さんが事故死して焼却された事は知っていた?
「知りませんでした。」

田口さんが殺されたことは?
「田口さんは知っているが、下向したと聞いた。」

坂本弁護士は?
「知らなかった。」

落田さんは?
「知らなかった。」

滝本弁護士にサリンやVXで攻撃したことは?
「知らなかった。」

富田さんを殺したのは?
「知らなかった。」


第33回公判④被告人質問はこちら↓

【オウム】高橋克也 第33回公判②被告人質問一日目

2015323
高橋克也
東京地裁 104号法廷

いよいよ被告人質問っ!!!!
克也が事件を語りますっっっ!
注目度が高いこの日は報道記者席がいつもより5席多かった~!




先週と比べてさらにやつれた?どーした?
緊張して食べれなかった(^_^;)???

☆被告人質問一日目☆
   
主任弁護人 高野先生からの質問

「高橋克也です。56歳です。」

・出身は横浜港北区
・父―会社務め、母―時期にもよるけどパート勤め
父は口数は多くなかったけど基本的には理解されていると思っていた。


お母さんはどんな感じ?
「ちょっと一言では・・・・。まぁ明るい性格だと…」
・・・お母さんについてはびみょーな答え(・ัω・ั)

・父は平成61212日 他界
 母は平成23915日 他界
・4つ上の兄が一人。九州の大学に進学後、高校教師に。今でもたぶんしてる。
 最後に兄に会ったのはたぶん30年以上前カモ。

小学校は近くの公立。

どんな子供でしたか?
「外で遊んだりも好きでしたけど、静かに本を読んだりも好きだった。」

友達はいた?
「はい。」

成績は?
「成績は普通で、たまに2。たまに4。 理科と美術が好きだった。」

中学も近くの公立で、小学校の友達もそのまま通った感じ。
部活は柔道部で中学時は2級取得。最終的には2段。
中学の大会ではそんなに勝てた記憶はない。

趣味・楽しみー野球、釣り、読書、漫画

成績は小学生の時と同じ感じ。理科と技術が好きだった。

当時、具体的な将来の夢はなかったが5年制の高等専門学校に進学する。
ここでは電子工学を勉強。

なぜ高専に?
「自分の成績でも行けるし、当時高専に行く人が多かった。家族も賛成したので・・。
(最初は)兄に勧められた。なぜだか良く分からなかった。
そんな話するような感じじゃなかったんですけど・・わりと強めに、行ったほうがいいと。
悪く取れば、20歳で卒業なので、お金がかからないから、それで兄が大学に行けるからかなと。」

「兄は***大附属の小中。高校は付属に行けなくて県立。大学は**大に受かったが行かず、一浪して***大学に行き、大学院まで行った。」
・・・学校名でましたが、伏せることにしました(´ . .̫ . `)

大学に行きたいと言わなかった?
「色々考えてるうちに・・そうですね・・・
色んな事を学びたいなと感じるようになりました。
親に、大学行きたいとか言いました。
自分が強く言えば “行ったらいい”と言ったかもだけど…笑って「しょうがない。」と答えられました。
「〇〇は長男だから! お前は次男だからな~」と何度も言われた。
父は仕事が大変そうで、あまり強く言えなかった。」

高専で発明に興味を持ち、特許弁理士にちょっとなりたいと思い調べたが結局、卒業前に諦めた。

20歳で家の近くの電気関係の会社に就職。
パソコンを作ったり調整する仕事に就く。

会社になじめた?
「そうですね。会社というか、職種に馴染めなかった。
自分の問題だと思うけど・・決められた事をやるだけなんで。」

同僚や上司とは?
「いい人はいました。家に近いって理由で選んだだけだから、一年後違う会社に移りました。
もっと小さくて10数人位の会社。デジタル関係で設計・開発もしていた。計測制御システムの開発、ハードもちょこっと。」

やりがいは?
「やりがいというか、体力的にきつかったけど、それに比して得られる喜びも大きかった。

馴染めた?
「最初は必死だった。違和感は感じなかったが、徐々に派閥みたいのを感じるよになった。
社長はパートさんと浮気をして、結局社長が辞めた。その時仕事の一部を持っていってしまった。」

仕事の評価は?
「開発したものがのちのちメンテしやすいようにとか心がけていたけど、仕事が遅いと社長に言われた。」

「ある時、相当大変な仕事をしていて、100時間くらいの残業だった。その時は2627歳くらい。
急に力が抜けて(会社を)辞めた。
両方とも(2つの会社)間違っていたと、自分の根底の生き方に迷いが生じた。色んな事を知った上で人生の選択をしたいと思った。」

辞めてなにをしてた?
「何もしないで実家で本を読んだりして生活していた。」

どんな本を?
「ヨーガ、宗教関係。本田総一郎さんとか。」

何を求めてそういう本を?
「まぁ、一言で言うと、生き方。成し遂げた人の考え方、生き方を求めていたって言ったら正しいかもしれません。」

宗教的な事に関心を持ったのは?
「小学23年生の時、近所に一人暮らしのおじいさんがいた。
実家は川の近くで、いつも橋を通っていた。
ある時、そのおじいさんが橋の欄干に手をかけて辛そうにしていた。横を通ったら、足が痛そうにしていた。
でもニコっと微笑んだので、そのまま家に帰ったんですが、肩を貸したりすればよかったかなと思った。

しばらくしてから、そのおじいさんは自殺した。
あの時笑ってたんで、大したことないって勝手に思い込んでしまった。
何かしてあげたらよかったと思った。今でも鮮明に覚えています。」

ヨーガに関心を持ったのは?
「中学の時に本屋でちょっと立ち読みをして、面白そうだなと思って買った。超能力的なことがちょこっと書いてあった。」

なんという本?
「沖正弘のヨーガ入門だったと思います。」

「高専時代も何冊か宗教の本を読んだ。修行をすれば超能力が身に付くと書いてあって、宗教的な面に興味を持った。」

働き始めてから阿含宗に入信。2122歳の時。
阿含宗では日々の修行を教えられた。月に一回は「例祭」で道場に行く。
京都で護摩を焚く「大祭」に行ってチラシを折る手伝いなどをした。

何を得られた?
「う-----ん。これと言って…なかったと言うか、京都の護摩の時、みんな何支部の団体とかで来ていて、紛れ込んだら「あなた関係ないでしょ」と怒鳴られた。

阿含宗はいつまで?
「たぶん2627くらい。」

辞めてどうした?

「会社を辞めた時期に辞めた。色んな本を読んだりしました。」

③に続く〜☆

第33回公判③被告人質問↓
http://jazzytokyo106.blogspot.jp/2015/04/33_29.html

2015年4月26日日曜日

オブツ真理教オフ会

2015年4月25日

オブツ真理教オフ会だっ!!!!!

Jazzyはここで

第8サティアン

支部長をやっています♡

ネットだけのお付き合いの方が

ほとんどだから

ドキドキ (>ω<)!

会場は池袋。

ちょっと遅刻しちゃったから

だいたい皆集まってました。



西村尊師が貴重なスタンプを

持ってきてくれたよ!

ヤバっっっ!


しょぼいメモ帳しか

持ってなかったの。

ちゃんとしたノートに押したかった~

尊師に会えて感激です(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)



これはさーとしーが

もってきてくれた缶バッヂ!

可愛い♡

・・でも使わなーい(-_-)w

私さーとしーの大ファンなの♪

ブログ面白すぎだから

知らない人は絶対にチェーーーック☆

オウマーさーとしーのブログ↓



西村尊師にもらった

オウム出版のカード(•ө•)

裏はAUM CALENDER 1988



ホーリーネーム授与式がありました。

わたくし Jazzyは

タントラ・ヤソーダラー

という名前をいただきました。

こらからも修行に励んで

タントラ(エロ)の教義を成就し

救済するぞ

救済するぞ

救済するぞー!

「ぴったりの名前だね」 
「正大師と同じじゃーん!すごーい☆」
って言われたっ( 〃▽〃)きゃっ

野田さん
ステキなホーリーネーム
ありがと (﹡֦ƠωƠ֦﹡)  


サマナ用CD頂きました。

尊師ソングが11曲入っています✨

CD聴くぞ、CD聴くぞCD聴くぞー!



左から滝本弁護士、西村尊師、
野田代表、
タントラ・ヤソーダラー、
さーとしー、
トンガリキッズのニポポさん☆

滝本先生とツーショット写真も
撮ってもらっちゃった(>ω<)

嬉しすぎ〜♡♡♡

そして色々貴重なお話も聞けて
幸せ
✧*:.。.٩(๑′∀ ‵๑)۶.。.:*✧


Twitterで仲良くしてくれてる
Mちゃん双子姉妹に

モテた(〃∇〃)

MとYの手柔らか〜ぃ(*˘︶˘*)

3人でイチャイチャ♡

こんな美人姉妹に責められたら

・・・たまらんです(+_+)

次回は2人に

タントラのイニシエーション決定!


☆二次会☆

カラオケ3時間!

本当はYちゃんもいる。
シャイなので顏出しNGですっ。

さーとしーに

セクハラしまくった♡

される前に

しようと思ったから。

宣戦布告  ლ(´ڡ`ლ)えへへ




MとYが

Nikki MinajのStarships

歌ってくれたよ。

ダンサー魂というか・・・

使命感というか・・・

とりあえず

おどったったε٩(๑> ₃ <)۶з

テーブルダンスと称した

強制わいせつ行為

欲望を満たしたわっ♡うっふん


カラオケの後

☆居酒屋で三次会☆

なんと朝5時まで

オウムトーーーク!

けっこう長く生きてるけど

こんなにマニアックな会に参加したのは

人生初です(;・∀・)

こゆかった~!

まどかちゃんの話おもろすぎ。

そして、どんだけオウムの話をしても

引かれないってステキ~✨✨

次は西村尊師の誕生祭かな~!?

皆さんありがとうございましたー
LOVE♡╰(*´︶`*)╯♡


これ借りた♡

三女の本読むぞ

三女の本読むぞ

三女の本読むぞー!

オブツ真理教HP

第8サティアン支部長就任